ごくりとユニコーンは唾を飲み込んだ。
「わたしは…。」 王子は頭を抑えた。
「頭が痛い…。わたしはどうしたのだろう…?」
「しっかりなさって下さい。姫様は?姫様はどうなさったのですか?」
「姫…?ああ、輝夜姫…。そうだ!わたしは姫の身がひたすら心配だった!他の事はどうでも良かった!ただ姫の事だけが気掛かりだった!だから、それがかつて自分の従者だった者で有ろうと、構わず切り捨てた。そしてその血刀を手にしたまま姫を探した…。はっきりと覚えているのはそのあたりの事までだ…。いきあたりばったり、手当たり次第に剣を振り回していた…。多分…、魔物達ばかりではなく、様子のおかしいわたしを止めようとしていた黄昏の城の衛兵達も…、わたしが手に掛けた…。血がほとばしり目の前が真っ赤に染まって…。誰かが悲鳴を上げていた…。そして…姫が…。そうだ…、姫はわたしのそんな姿を見ていたんだ…。それから先はもう解らない…。何か解らない真っ黒なものが、わたしの全てを支配していった…。わたしは…何をしていたのだろう…?さっき亜紺がわたしの名を呼んでくれるまで、わたしはまるで眠っていたかの様だ…。深い水底に沈み込んでいたような…。何故わたしはこのような姿をしているのだ?亜紺、お前なら解るのか?わたしに何が起こったのか、説明してくれる事が出来るのか?」 王子は悲壮な瞳の色でユニコーンに問い掛けた。
「王子様…。」ユニコーンはもっと悲しげな瞳で、ただ王子を見つめた。
「私が知っている限りの事をお話しましょう。」
「姫君。」 姫君に口を挟まれて、ユニコーンはかえってほっとしたようだった。
「王子様、こちらは緑花の国の王女様です。わたくしと一緒にあなた様を探して旅をして来て下さいました。」
「いいえ。私は決してあなたを探す事が目的で旅に出た訳ではありません。」 姫君はきっぱりと言った。
「でも、出来る事ならばあなたを助けたいと思います。私の話をお聞きになって、そして私にもあなたの知っている事を教えて下さい。」
王子は少し戸惑った表情を浮かべたが、やがてこくりと頷いた。姫君はにっこりするとユニコーンに頷き掛けて話し始めた。
「私は緑花の国の世継ぎの王女。ついこの間までは父母の愛、国民皆の愛に包まれ、何不自由無く暮らしておりました。ところが或る日、我が父王の元に『魔王』と名乗る者から、緑花の国の国民全ての身の安全との引き換えに我が身を引き渡せ、との使いが参ったのです。恐ろしき姿の魔物の使いが。我が父王は初めは固く拒んでおりましたが、魔物達の言葉を裏付けるように、次から次へと起こり始めた様々な異変を目の当たりにするにつれ、ただ話を無視して放って置く訳には余りに事は危険過ぎる、と判断成されました。でも、依りにも依って差し出せ、と言われているのは世継ぎのただ一人の王女。愛情と国民への義務との板挟みとなって苦しむ父上のお姿は、私にも考える機会を与えて下さいました。そうして私は、私の王女としての務めと一人の人間としての生き方を賭けて、希望を探す旅に出たのです。その途中の道でユニコーンに出会いました。」
「王子様。わたくしもその時魔物であったのです。」 ユニコーンがじっと王子の瞳を見つめて言った。
「そしてただ本能の赴くままに姫君を襲い、幸か不幸か姫君のお力で元の姿に戻していただきました。」
「いいえ、私の力ではありません。ユニコーン自身の心が魔に侵されていなかったという事なのでしょう。だから、私の光りの剣はユニコーン自身を傷付ける事無く、ただ表面の魔物の『皮』だけを切り裂く事が出来たのだと思います。」
王子はふと目を伏せると、頬に苦い笑いを刻んだ。
「だから王子様。あなた様も元のお姿に、元通りのあなた様に戻る事が出来るやも知れませぬ。」 ユニコーンが力を込めて訴える。
「ええ。魔王の波動の影響で、変わってしまった姿形ならば、多分私の光りの剣の浄化の力で元に戻す事が可能です。」姫君が頷く。
「教えて下さい。魔王はどこです?黄昏の城の夜の塔に居るとは聞きました。私は彼に会わねばなりません。会ってこの異変を起こしている理由を問わねばなりません。それが何故私の身に関わってくるのか、私は知らねばなりません。それが私の一国を預かる者としての義務と責任です。私は私一人のものでは無いのですから。」
王子は黙って姫君の話を聞いていた。そして何故か哀しそうに姫君を見つめた。
「そうですね。あなたのおっしゃる通りです。王家の者には王家の義務がある。緑花の姫君、あなたは立派にそれを果たそうとしておられる。だがわたしは…。」王子は視線をおのが手に落とした。
「魔王の力とはそのもの自体にはたいした威力のあるものでは無いのです。」
はっと姫君は息を飲んだ。
「あなたも薄々は感づいておられたでしょうが、人の心に働き掛けるものだと思われます。言わば、ある意味、人の心を映す鏡。しかもその中の一部分を拡大増幅してしまう…。」
王子はくすりと笑った。
「見て下さい。これがわたしだ。今となって理解った。この姿は本当のわたし…。笑ってやって下さい。王家の責任や義務すら忘れ、ただ自分の欲だけに走った結果がこのざまだ…。」
王子は自分で自分を嘲笑うかのように、低い笑い声を上げた。だが、その瞳には深い哀しみが宿っていた。
「わたしの理性を失っていた頭では、はっきりとした事は申せませんが、確かに魔王はこの黄昏の城に居ると思われます。」 王子は一つ深い息をつくとそう話を続けた。
「わたしは彼に会った事がある訳ではありません。しかし、気配と言うか、波動と言うか、そのようなものを感じます。影響されて変化してしまったわたしが言うのです。間違いはありません。」
「おお。」 姫君は胸の所で両手を組み合わせた。
「やはりここに!それではこのまま夜の塔に向かいましょう。夜の塔がどちらにあるかご存知でしょうか?」 勢い込んで尋ねる姫君を、王子は慌てて押し留めた。
「ちょっとお待ち下さい、姫君。どうか、今度はわたしの話をお聞き下さい。」 王子は必死の面持ちで訴えた。
「銀砂の国の王女を、輝夜姫をお救い下さい!」
姫君もはっと表情を変えた。
「わたしがこのようなおぞましい姿と成り果てたのも、わたしの輝夜姫への執着の報いとは理解っております。全ては自業自得…。しかし、姫は…輝夜姫だけは助けたい!未練とお笑いになるなら、それも甘んじて受けます。ですからせめて姫だけは、輝夜姫だけは助けて下さい!」
 「おお、勿論私に出来る事は全て、何でも手助け致します!あなたの事だって忘れてなどおりません。」
姫君がそう断言すると、王子は安心したようにほっと息をつき、それからゆっくりとかぶりをふった。
「わたしの事などどうでもよいのです。わたしは、多分わたしの場合は、どんなにあなたが力を尽くして下さろうとも、無駄な事でしょう…。」
 「?!何故そのような事をおっしゃるのです?!」
王子のその言葉に、それまで黙って成り行きを見ていたユニコーンが反発した。
「光りの剣で魔を払って頂けば、元のお姿にお戻りになられますとも!」
王子は、唇に微笑とも苦笑ともつかぬものを浮かべて、ユニコーンを哀し気な瞳で見つめた。
「亜紺。わたしには解る。魔王の邪気はわたしの心にまで変化をもたらした。いや、違う。もともとわたしはそういう人間だったのだろう。我儘で自己中心的で、義務すら忘れ果てて、周りを見なくなってしまう…。わたしのこの今の姿は、わたしの真実をそのままに具現化したものだ。魔王はきっかけを与えたに過ぎない。」
「王子様…。」 ユニコーンはそれでも納得の行かない様子で、なんとか王子を説得しようと言葉を探していたが、やがて助けを求めるように姫君を省みた。
「姫君、あなた様からももう一度ご説明下さい。我が王子は変に懐疑的になっておられる。」
「いや、亜紺。そうではない。」 王子はゆっくりとかぶりを振った。
「お前は、本当にわたしを元の姿に戻して、元通りの幸福な人生を歩ませたい、と思っているのだろう。そして、緑花の姫君も、ご親切にもわたしのためを思い、それに付け加えて魔王の情報をも得ようとしておられる。お前の気持ちも姫君のお気持ちも、大変有り難く思っているよ…。でも、亜紺…。」
みるみる王子の瞳に涙が盛り上がって、一筋つうっと頬に流れた。
「無理だ…。自分の事は自分が一番よく知っている。お前は心の奥底まで汚される事は決して無かった。だがわたしは悲しい事に、心の何処かでは自分の所業を楽しんでいたのを覚えている。お前とは違う。亜紺、わたしはさっきも言った通り、どう考えてもこのまま腐り、朽ち果てて行くのが相応しい存在なのだ…。」
ユニコーンは絶句した。そして、その美しい瞳から涙をぽろぽろとこぼした。姫君も痛ましそうにそんな二人を見つめていたが、はっと我に帰るといきなり二人に向かって叫んだ。
「どうしてやって見もせずにうだうだとそのような事を!」
そのあまりの勢いに、二人は呆気に取られてお互いの顔を見合わせた。この姫君がそんな大声を出すとは思わなかったのだろう。オレも驚いた。
「何もせずに、試みもしないうちに諦めてしまうとおっしゃるのですか?!まだ可能性は残されているというのに!」
興奮のためか、情けなさのためか、姫君の瞳にもうっすらと涙が滲んでいる。
「そうです!まだ可能性はあるのです!希望を捨ててしまうには早すぎます!」
姫君の必死な叫びに、さすがの悲観的な王子も心を動かされたのか、彼は姫君に向かってゆっくりと頷くと、初めて内側から溢れ出たような微笑みを浮かべた。
「ありがとう。そうですね。あなたのおっしゃる通りです。わたしは臆病過ぎるのでしょうね。解りました。全てをあなたの手に…。」
王子がそこまで口にした時、ふいに一陣の黒い風が吹き、王子の表情が固まった。
「?王子様、どうか成されましたか?」
それはユニコーンが思わずそう尋ねずにはいられぬ程の変化だった。
「…いいや…それよりも…」
そんなユニコーンの言葉を完全に無視して、王子は上目使いに姫君を見つめ、にぃっと笑った。とたん、背筋に悪寒が走った。
 「緑花の姫君の味はいかがなものか、味見をしてみたくなった…。」
さっと姫君の顔色が変わった。何なのだ?この王子の突然の変化は?さっきまでのあの優しげな、それでいて一途な青年は、おおよそ血肉に対する本能でしか動いていない、おぞましいモノへと変化を遂げていた。
姫君は咄嗟に剣の柄に手を掛けていた。慎重に身構えている。
「王子様?冗談をおっしゃっているのですか?」 事態の飲み込めていないユニコーンは、おろおろと姫君と王子の顔を見比べている。
「わたしは冗談など言ってはいないよ。ただ、うまそうだな、と…」 そう言いながら王子はぺろりと唇を嘗めた。その舌先は二つに別れ、あたかも蛇のそれの様にちろちろと動いている。
「王子様…。」ユニコーンは人間で言えば真っ青になった。そんなユニコーンを尻目に、王子はにたりと笑うといきなり姫君とユニコーン目掛けて例の気味悪い神経繊維の束を投げつけて来た。
「!」
身構えていた姫君は、咄嗟に剣でなぎ払ったが、無防備だったユニコーンは、ぐるぐると全身に巻きつかれ締め上げられる。
「お・う・じさま…。」 まさに絞め殺されようかとする苦しい息の下でもユニコーンは健気だった。悲し気な瞳で王子をじっと見つめたまま、抵抗一つしようともせず成すがままにされている。堪りかねて姫君が動いた。手にした剣を一閃すると、ユニコーンを締め付けている例のブツを叩き切る。解放されたユニコーンは、へなへなとその場に崩れ落ちた。ただ茫然と王子を見つめている。かなりのショックを受けたらしい。しかし姫君はそんなユニコーンの様子にも構っていられなかった。どうやらメインディッシュは姫君、と決めたらしい。ひゅんと唸りをあげて例のブツが、鞭の様にしなりながら姫君を捕らえようと飛びかかって来る。右に左に飛びすさりながら、なんとか避けている。姫君は、なるべくなら王子をむげに傷つけたくは無いのだろう。話しをして知った王子の人柄を思えば、そんな気にもなれまいとオレも思う。正気のあいつなら良い隣人でいられただろう。でも今はそんな事を考えている場合じゃない。こっちの命がかかっている。あいつは何故か解らないけど、本気だ。本気で姫君を喰おうとしている。オレの出番が来た、とオレがオレの想像上の手を魔法使いの輪に伸ばした時、姫君はすうっと息を一つ吸うと意を決したようにきっと王子を睨みつけた。
「あなたを救う為にも、私が生きる為にもこうするしかありません!」
そして、八相に構えるといきなり王子の懐に飛び込み、例の気味悪いブツをなぎ払ったかと思うと飛びすさって間合いを取った。相手が怯む隙に、急いで口の中で呪文を唱えて光りの剣を呼び出す。天空から空気を引き裂くようにして光りが一筋姫君目掛けて降って来て、姫君の手にする剣に宿る。それをちらりと見やって、姫君は今度は大上段に振り被ると、間髪入れずに王子に斬りかかった。
「王子様!」 ユニコーンが絶叫した。
光りの剣は王子の頭上に振り降ろされ、ものの見事に真っ二つにしていた。脳天唐竹割りってやつだ。オレはそんな光景をただ目を見張って見守るしか出来なかった。

それは不思議な眺めだった。ユニコーンをやはり真っ二つにした時とは違って、雷も落ちては来なかったし、王子の姿が変化し始めるという事もなかった。ただ、半分に断ち切られた王子がそのままの姿で立ち尽くしているだけだった。
「王子様…?」
じっと事態を見守るだけだったユニコーンが怖る怖る声を掛けた。誰も、何も動かない。いやしかし、見守るうちに、半分にされた王子の体の断面から、きらきらと金色の光が零れ始めた。何かが起ころうとしている。期待に満ちた瞳でユニコーンはその様子を見つめている。しかし、次の瞬間―
ばさり、と軽い音を立てて、王子のより魔に侵されていた半身が砂と化して崩れ落ちた。残る半身もゆっくりと倒れて行く。
「!」
そこにいた全員が驚愕の余り凍りついた。だがまだ王子は死んではいなかった。その場で微かに身じろぐと、消え入りそうに小さな声でユニコーンを呼ぶ。
「亜紺…。」
弾かれたようにユニコーンは王子に駆け寄った。
「王子様!」
王子は微かに笑ったようだった。
「すまないね…。お前の苦心を無駄にしてしまったようだ…。わたしはやはり人には戻れなかった…。」
「王子様…。」 ユニコーンの美しい瞳からはらはらと涙が零れ落ちた。
「王子様。」
姫君がその傍らに膝をついた。
「申し訳ありません。私の力不足です。」
「いいえ、あなたの責任ではありません。」 意外とはっきりと王子は断言した。
「全て自業自得。わたしが魔王の力に抗う事すら出来ぬ、弱い心の持ち主だった、というだけの事。最初からわたしには結果は見えていました。」
「でも…。」
「いいえ、むしろわたしが、この最期の瞬間を『人』として迎えられる事を、共に喜んで下さい。あなたのお陰です。」
みるみる姫君の目にも涙が溢れて来た。
「あなたがこのわたしの運命に、心を痛めて下さると言うのでしたら、どうかお願いです。我が婚約者の姫を、輝夜姫をお救い下さい。彼女はこの黄昏の城におり、またわたしと同じように魔王の呪縛に捕われている事でしょう。ですから彼女を、わたしが出来なかった事を、どうか…。」
「はい。私の力の限りを尽くして。」
ぽたりと姫君の涙が、王子のまだ少しは人間らしい頬に落ちた。
「ありがとう。お願いします…。」
最後ににっこり微笑むと、王子はゆっくり目を閉じた。断面で輝いていた金色の光が王子の全身を覆い尽くそうとしていた。姫君は静かに立ち上がると、胸の前で手を合わせ、目を閉じた。やがて金色の光は、そんな王子の姿を溶かし込んで強烈な輝きを放ち、一瞬の後には王子もろともかき消えた。あとには王子の額に輝いていた大きな紅玉が一つ、淋しそうに転がっていた。
「王座様…。」
ユニコーンが茫然と囁くように小さな声で呟いた。
「逝ってしまわれたのですね。わたくしを残して…。」
突然、ピシリと鋭い音が響いたと思うと、ユニコーンの胸に大きなひびが入っていた。見る間にそれは全身に広がって、キンと澄んだ音がしたと思うと、ユニコーンの体は細かく砕けて宙に舞った。
「ユニコーン!」
空中をきらきら輝きながら舞い散る透き通った破片は 、さながらユニコーンの悲しみの涙だったのであろうか。
「悲しみの余り、文字通り胸が裂けてしまったのね…。それ程にこの王子様を愛していたの…。なんて羨ましいこと…。我が身を賭けて愛し愛される…。私には…。」
ユニコーンの美しい破片をぼんやりと眺めながら、姫君は呟いていた。そのあまりに淋しそうな横顔は、今にも消え入りそうに思われ消え入りそうに思われて、オレは堪らなくなって想像上の腕を伸ばして後ろからそっと姫君の肩を抱きしめた。勿論、オレが思っただけだ。実際に体がある訳じゃ無し。でも、そうせずにはいられなかった。あまりに姫君が頼りなげで、心細げで…。せめてここにオレがいるよ、って伝えたかったけど、今のオレじゃあ、そんな事すら出来ない。なんてはがゆい、まどろっこしい状態なんだろう。微かに姫君の肩が震えている。泣いているんだろうか。気のせいかな。姫君の温もりが腕の中に感じられる。オレは口の中でそっと呟いた。











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