「全く君は正直で良い。君のその性格、わたしはとても好きだよ。」 それからまた少し真面目な口調になって言う。
「もう一つはこれだ。」
魔法使いは立ち上がると空中に手で円を描き、口の中で呪文を唱えた。すると、魔法使いの描いた円の輪郭が輝きだし、すっと縮んで一個の鈍い光りを放つ銀色の輪に変わった。彼はそれをひょいと手に乗せると、重さを確かめるかのようにしばらく眺めていたが、やがて満足そうにニッコリと微笑んだ。
「ちょっとこちらに来てくれないか。」 そしてオレを傍まで呼び寄せた。
「?」
オレが彼の前に行くと、驚いた事にその輪っかは独りでに浮き上がり、くるりと向きを変えるとすっぽりとオレの額に嵌まった。
「いっ!?」
一瞬パニックに陥りかけたオレに、魔法使いが笑いながら言った。
「大丈夫だよ。別に食いつきゃしない。それは『魔法使いの輪』。君の力を増幅してくれるだろう。」
オレはおそるおそるそいつに触れてみた。ピッタリと額に嵌まり、それでいて見掛けよりかなり軽い。知らなければそこにそれがあるとは信じられないほどだ。
「よく似合うよ。」 魔法使いが妙に嬉しそうに言った。
「さて、と。これでこちらの準備は整った。君を姫君の中に戻そう。あ、いけない。君が『外に出る』方法を教えるのを忘れる所だった。いいかい?急いで覚えておくれ。まず、額の輪に軽く触れてるつもりになって、こう唱えるのだよ。『青銀の魔法使いと光の姫君の名においてナイトたるはるかが命ずる。我を解き放て。』と。簡単だろう?覚えたね。さあ、戻すよ。」
オレが反論する暇も何もあったものじゃない。気がつくとオレはもう姫君のなかにいた。
「急がせてごめんよ。でも時が移る。何時までも姫君達をこのままにしてはおけないからね。これで姫君達の魔法も解くことが出来る。『全てよ、あるがままに!』」
魔法使いがぱちんと指を鳴らすと、意識を止められていたなんて夢にも思わず、姫君達はまたそれぞれの生を生き始めた。
「さあ、わたしの手助けはこれだよ。」
何も変わった事など無かったかのように、魔法使いはすっと姫君の前に手を差し出した。そこにはオレが嵌めているのと同じような輪が乗っていた。
「これは…?」
姫君が戸惑っていると、その輪っかはオレの時と同じように、独りでに浮き上がり姫君の額にピッタリと納まった。
「!」
驚く姫君を尻目に、そいつはまたいきなりキラキラと輝きだし、みるみる形を変えてゆく。
「ほう。」
魔法使いが感嘆の声をあげた。
「それは『魔法使いの輪』。魔法使いたる者一人にひとつずつのみ属する。その主人たる者を自ら選び、選んだ者が滅ぶ時、また自らも滅び去る。そして稀にその持ち主に必要な時と判断された時には、その姿を一番相応しいものへと自ら変化させるという。わたしも魔法使いの輪がこれほど激しい変化を見るのは初めてだよ。」
それは美しい眺めだった。月の光のような姫君の長い髪。それを覆い隠すかのように、いや、包んで守るかのように、魔法使いの輪はきらきらと輝きながら、細い、糸のような腕を幾すじも絡ませつつ伸ばしてゆく。複雑な、しかも優雅な模様を描きながら。
誰もがその変化を息を飲んで見つめていた。やがてやっとその仕事を終えたかのように、魔法使いの輪がその輝きをややおさめた時、姫君はその美しい頭に透き通る冠を頂いていた。
「これはまた…。」 魔法使いは溜め息交じりに呟いた。
姫君の美しい髪を損なわず、かつ頭を保護するには最適であろうその形。
「これならその辺の半端な兜なんぞより、よっぽど姫君の身を守ってくれる事だろう。材質すら変化を遂げているらしいし。」 魔法使いがそっとその冠に触れてみながら言った。
「まったく、三百年も生きて来たが、『魔法使いの輪』がこのような変化を見せるとは、想像だにしなかったよ。やはり姫君はこの世界にとって大切な存在だ、という事なのだろうね。」 しごく感慨深げに呟く。
姫君はやはり呆然として、魔法使いが差し出した鏡を見つめている。
オレはオレで密かに魔法使いに感謝していた。このような姫君の変化を見逃さずに済んで良かった、と思った。以前のように姫君の視野を通してしか物を見られなかったら、多分オレは地団駄踏んで悔しがった事だろう。あれ?我ながらストーカーじみてきたかな。うわっ、ヤバイかも…。
「姫君。」感動醒めやらぬままの口調で、魔法使いは姫君にそっと語り掛けた。
「何故か今、私は『運命』というものを目の前にしている気がします。あなたはまさしく運命の導くまま、歩んでおられる。その道が何処へあなたを導いて行くのか、神ならぬ身に解ろうはずもないが、あなたは『選ばれた方』だ。あなたの名付け親となれた奇跡を、わたしは天に感謝しよう。」
そしてすっと膝まずくと、姫君のマントの裾を手に取ってくちづけた。
(うわっ!)
知っている。それは最高の敬意の表現だ。でも、見るのは初めてだ。こんな恥ずかしい表現方法をする奴が、今時いるなんて思わなかった。いやあ、思いっきり驚いた。
姫君はそんな魔法使いの突飛な敬愛表現を、頬を桜色に染めて受けていたが、やがて正式な返礼を返した。
「ありがとうございます。『青銀の魔法使い』と呼ばれる程の方の、それ程の敬意、私は期待に添えるよう力を尽くします。」
それを聞いて魔法使いはにっこりと微笑んだ。
「わたしも出来うる限りの助力を致しましょう。先ずはもう、今日の所はお体を休めていただく事にしましょう。これまでの長旅の疲れを少しでも癒して、これからの事に備えていただかねば。お部屋を用意します。さあ、こちらへ。」
次の朝、魔法使いの用意してくれた新しい旅装束に身を包んだ一行は、洞窟の前の少し広くなった所に出て、出達の準備をしていた。
「わたしはこちらの用事が済み次第、即刻後を追います。どうかそれ迄、くれぐれもお気を付けて。」 魔法使いが言う。
「はい。でも、ユニコーンも付いていてくれますし、この魔法使いの輪のおかげで私の魔法力も上がって来ているようですから、私は余り心配しておりません。魔王の目的は私自身。死ぬ程の事はなかろうと思われます。」姫君はちょっと頭の魔法使いの輪に触れながら、何故か余裕の笑みで答えた。魔法使いの輪を身に付けた姫君は、どことなく落ち着きが増して、大人っぽくなったような気がする。「何だか私、この魔法使いの輪を頂いてから、物事が良く見えるようになったような気がするのです。今まで想像もつかなかった魔王の気持ちも、おぼろげながら見えるような…。それこそ、気の性かも知れませんか。」 うっすらと微笑み、姫君は言う。ああ、そうなのか。この姫君の落ち着き様は、鋭くなった洞察力が導き出したものなのか。それによって考え方の根本自体が変化し、姫君は少しだけ成長したのだ。姫君はこうして着実に未来に向かって歩んで行く。それに比べてオレは…。
「そう。姫君がそうおっしゃるのなら、わたしはその言葉を信じましょう。では、取りあえずわたしからのはなむけとしてこれを。」 魔法使いはピューと指笛を吹いた。すると、青空の彼方から微かないななきと馬蹄の音が聞こえたかと思うと、真っ白いペガサスが一頭、こちらに向かって飛んで来るのが見えた。ペガサスは軽やかに宙を翔け、やがて一行の前にふわりと着地した。
「黄昏の城まで、これに乗って 行ってください。時間の短縮になります。それに、余計な戦いを避ける事も出来ましょう。」 魔法使いがそのペガサスのタテガミをなでながら言った。
「ありがとうございます。」 姫君もペガサスの額を撫でながら礼を言った。それからおもむろに魔法使いの方に向き直ると、真剣な表情で言った。
「名付け親の君に、一つお願いがあるのです。」
「なんなりと。」
「この私の乳母、『瑞穂の乳母』をどうか無事に緑花の国の我が父母の元に送り届けて欲しいのです。」
「姫様!」 血相を変えたのは乳母さんだった。
「なに故そのような事を!いいえ!わたくしは共に参ります!」
姫君は柔らかく微笑み、乳母さんの手を取りしっかりと握った。
「乳母や。ありがとう。でも、もういいのよ。もう私は大丈夫。あなたのスカートの陰に隠れていた小さな女の子じゃないの。だから、あなたには安全な所で私の帰りを待っていて欲しいの。」
「姫様…。」
乳母さんは目に一杯涙を貯めて姫君を見つめる。姫君は極上の笑みを浮かべてゆっくりと頷いた。
「私はもう大丈夫。一人じゃないのですもの。」 オレは一瞬ぎょっとした。ひょっとしてバレてる?
「ユニコーンも一緒ですし、名付け親の君も一緒です。あなたが危ない目に合う必要はありません。」
オレはほっとしたが、乳母さんは涙をポロポロ零しながら首を振り続けている。
「瑞穂の乳母よ。姫君を困らせてはいけない。それに、これから先はあなたの存在は姫君の足手まといになる。あなたが共に行く事に依って姫君の身に危害が及ぶ恐れがある。」 堪らず魔法使いが口を挟んだ。
乳母さんはぎょっとして姫君の顔を見た。姫君は否定も肯定もしない。ただ、じっと乳母さんの顔を見つめている。
「…解りました。おっしゃる通りに致します。でも姫様、きっと、きっと無事にお戻り下さいませ。わたくしとお約束なさって下さい。必ず、必ず案じているわたくし達の元へ戻って来る、と。」 乳母さんは必死の面持ちで訴える。
「ええ。勿論よ。きっと無事に緑花の国に、あなたや父上、母上の待つ暁の城に帰ります。私の名前にかけて誓ってもいいわ。」 姫君も真剣な眼差しで頷いた。
「きっとですよ。」 乳母さんは姫君にもう一度念を押すと、魔法使いの方に向き直って言った。
「どうぞ姫様を宜しくお願いします。大事な方なのです。」
「解っております。姫君はわたしにとっても、ましてやこの世界にとっても大切な方。必ずやお守り致します。」 魔法使いも真剣な顔で受け合った。
乳母さんはそれでも不安そうな顔つきだったが、思い切るように一つ息をつくと、姫君に向き直り深々とお辞儀をした。主君を送り出す時の正式な礼だ。
「いってらっしゃいませ。」
姫君は軽く頷くと、ひらりとペガサスに跨がった。
「行って参ります。」
「あ、ちょっと待って下さい。」 魔法使いが呼び止めた。
「一つ言い忘れました。そのペガサスなのですが、この山を降りたら、なるべく地面を走らせてやって下さい。もともと天馬の一族は翼に頼り過ぎる傾向にあるのですが、余り空を飛んでばかりいると、そのための筋肉だけが発達して他の筋肉は衰えてしまい、最終的には馬でありながら馬とは言えない体型になってしまうのです。」
姫君は思わず魔法使いの顔をまじまじと見つめた。魔法使いは真面目な顔で頷く。どうやら冗談では無いらしい。オレは吹き出した。思わず馬らしくない馬となったペガサスの姿を想像してしまった。姫君の中で笑い転げてしまう。が、姫君の方はいたって真面目な顔で、ペガサスのたてがみを撫でて哀れみを込めた瞳で頷いた。
「解りました。心掛けておきます。」
おい、おい、マジかよ。まったくこのお姫様ってばどーゆーユーモアのセンスをしているんだ?
「では、参ります。」 姫君がペガサスの首を優しく叩くと、ペガサスは優雅に空に舞い上がった。見る見る魔法使い達の姿が小さくなる。さあ、いよいよ魔王との直接対決だ。
そびえたつ天山を越え、砂漠に出た所でユニコーンと合流し、また旅が始まった。何も無ければ黄昏の城迄は五日ほどの距離だそうだ。でも何事も無くなんて、そうは問屋が卸さないだろうな。まあ、いざとなれば今回はオレも姫君の楯ぐらいにはなれる。
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