「別に構いませんよ。僕の名前は千葉はるか。高校二年の十七歳です。ええと、住所は天の川銀河太陽系第三惑星地球日本東京都北区…。」
「ちょっと待った!君の言ってる事がよく解らない。」 魔法使いが笑いながらストップをかけた。
「はるか君と言ったね。どうやら君は異世界から来た人らしいね。何故なら、我々はこの世界を『イリュージア』と呼んでいるのだよ。それに、君は何の躊躇も無く名前を明かしてくれたが、この世界では本当の名前は伏せて置くのだよ。名前を知られると支配されたり、操られたりする危険性があるからね。名前にはそういう力があるのだよ。」
「はあ…。」 オレには魔法使いのその説明がよく解らなかった。
「まあ、いい。それより、やはりその姿では不便だろうし、わたしの方も混乱する。君の身体的特長を教えてくれないか?君の姿を造ってみよう。」 オレが彼の言葉を理解できずにいるうちに、魔法使いは小さく呪文を唱えると、空中から一枚の姿見の鏡を取り出した。そこには姫君の姿が映っていた。月の光りのような淡い色の髪を首の後ろで一つに束ね、少年のような服装に身を包んでいる。
(ああ、やっぱりすげえ印象的な子だ。) オレはなんだかその鏡に見とれていた。
「はるか君。気持ちは解るが、時が移る。君のデータをくれないか。」
魔法使いにそう言われてオレは我にかえった。慌てて説明を始める。
「ええと…。身長百七十五センチ、体重六十五キロ、髪と目の色は日本人だから黒。肌の色はモンゴロイドだから黄色っぽい。」
「君の使っている単位はよく解らないけど、こんなものかな?」
魔法使いが指をぱちんと鳴らすと、ふいに鏡の中の映像が、若い騎士風の男のものに変わった。しかも物凄いイケメンだ。
「どんなものだろうね?」
「いやあ、確かに目も髪も黒いけど…。僕はごく普通の高校生なんです。騎士でも勇者でもありませんし、こんなにかっこいいハンサムじゃありませんから!これじゃあ、あまりに立派過ぎます!」
「ふうん。この方が姫君の好みだと思うんだけどな。残念だよ。さて、君の言う『普通の高校生』がどういうものかはよく解らないけれど、じゃあ数段落として、と…。」
再び魔法使いは指を鳴らした。次の瞬間、鏡の中の映像は、何とか何処にでもいそうな野郎のものに変わっていた。
「こんなものでどうかね?」
「まあ、顔形はともかく、雰囲気的にはこんなものでしょうか。」 オレは少し面倒になって、ちょっといいかげんな返事をした。
「そう?じゃあ、お許しが出たところで、これで行ってみようか。はるか君、ちょっとの間、目を閉じていておくれ。多分、めまいがすると思うから。」
「?これでいいですか?」
オレが言われた通りに目を閉じると、魔法使いは何やら解らぬ複雑な呪文を唱え出した。するとふいに頭を鷲掴みにされて引き剥がされるような感覚に襲われて、オレは物凄いめまいの渦に巻き込まれた。
「もういいよ。目を開けてみたまえ。」 やがて魔法使いの声がそう促した。オレはおそるおそる目を開けてみた。まだ頭がクラクラする。暫くは何も解らなかったが、やがてうっすらと魔法使いの顔が見えて来た。
「気分はどうかね?」 魔法使いがニコニコと尋ねた。
「はあ…。何とか大丈夫そうです。」 と、答えたのは既に男の声。
(うわっ、マジかよ。) オレが驚いていると、魔法使いはにやっと笑って傍らの鏡を指差した。
「えっ?!」
そこに映っていたのは、多少髪の長さが違っていたりしたが、紛れも無く『オレ』だった。
 「どうかな?君の本当の姿と近いかな?」
「ええ。驚きました。こんな事が出来るんですねえ。」 オレは改めて魔法使いを見直しながら言った。
「おい、おい。わたしはこれでも姫君の名付け親ともなった『青銀の魔法使い』と呼ばれる魔法使いなのだよ。それなりの力はあるのだよ。」 魔法使いは苦笑いしながら言った。
「そうなんですか?でも、全然そんな偉い人には、というか、そんなお年には見えませんけど。本当はお幾つなんですか?」 オレはずっと思っていた事を聞いてみた。
「ふふふ。幾つに見えるかね?多分、見た目よりかなり上なのは確かだよ。それより動いてみてご覧。」魔法使いは笑いながら言った。なんだかうまくはぐらかされたみたいだ、とオレは思いながらも、言われた通り腕を動かしてみる。
(動く!)
思わず手も振ってみた。
(うわあ!)
嬉しくなって足踏みもしてみた。しっかり動く。オレの思い通りに。感動!一体何日ぶりなんだろう。自分の体が自分の思うがままに動くなんて。感激の余りうるうる来そうだ。
「気に入ってくれたようだね。その体は、もう君の本当の体と同じように、動かす事が出来る筈だよ。」 魔法使いは言った。そしてまた空中から椅子をもう一つ取り出すと、オレに座るよう勧め、オレが椅子に落ち着くと、今度はオレをまじまじと見つめた。
「どうかしましたか?」
「いや、やはりこうしていろいろ話してみると、君は全く邪心の無い少年なのだ、と確信が持てたのだがね。どうしてこの世界に、しかも実体では無く、精神体だけで紛れ込んだものかとずっと考えていたのだよ。それにやっと答えらしきものが出せたと思う。はるか君、君は姫君の名前を知っているだろうか?」
「え?!」
言われて気が付いた。そういえばオレは姫君の名前を知らない。誰も彼女の名前を呼ばなかったからだろう。
「この世界では、おおっぴらに人を名前で呼ぶ事はない。それはさっきも言った通りの理由からだ。だから君だけでは無く、殆どの者達が姫の名前を知らない。だが わたしは姫君の名付け親だ。わたしが姫君に名前を与えたのだ。」
魔法使いは深い眼差しでオレを見つめた。
「はるか君。実はね、姫君の名前もはるか、というのだよ。本当は『春華』と書くのだがね。」
「ええっ!」
「そうなのだよ。わたしも驚いた。君は君の名前の由来を聞いた事はあるかね?」
「はあ、母親が付けた、とは聞いた事がありますが…。」
「そう。君の母君はきっと『希望を持って遥か遠く迄羽ばたいて行って欲しい』という思いを込めて付けられたのだと思うよ。」
オレはなんだか魔法使いの瞳の奥に、懐かしい母さんの笑顔を見たような気がした。
「そしてね、わたしは姫君の名前に、その同じ思いと、春のように温かくやさしく、花のように人々に和みと安らぎを与える事が出来、華やかに凛として生きて欲しい、という思いを込めたのだよ。」
オレは内心なるほど、と思った。名は態を現す、とは良く言ったもので、姫君はまさにその通りに生きているように思えた。前向きに力強く。
「それでだね、少し脇道に逸れてしまったが、君は何故この世界にやって来たのかだが、姫君のその名前にシンクロしたのじゃ無いかと思うのだよ。多分、君が眠っているか、うとうとしているかで、意識が浮遊している状態の時に、姫君の名前に同調して、この世界に、そして姫君の中へと引き込まれた、と。」
「そんな事があるんですか?!」
オレは我ながら素っ頓狂な声を上げた。
「そんな馬鹿な事が?!」
「あるんだからしょうがない。」 魔法使いは平然と言い放った。
「だったらこの状態を君はどう説明するかね?」
オレはぐっと詰まった。魔法使いはほら見ろ、と言いたそうな顔をしてオレを見ている。
「まあ、それはそれとして、君に相談があるのだがね。」
オレは少し落ち込んだ気分になって、魔法使いを見た。
「何ですか?これ以上、まだ何かしち面倒くさい事が増えるのは御免被りたいのですけど。」
「いや、面倒と言うよりも、君には歓迎される事だと思うよ。」 魔法使いはいたずらっぽく片目をつぶって見せた。
「君に姫君を守ってもらいたい、とお願いしたいのだが、どんなものかね?」
「えっ?!」
「だから、このまま姫君と一緒に旅を続けてはくれないだろうか、と頼んでいるのだよ。どっちみち、今君を君自身の属している世界に戻す術はないのだし。まあ、わたしが色々と調べてはみるけれども、直ぐには解りそうもないのは、隠しようの無い事実だよ。」
オレは思わず唸り声を上げそうになった。
「だから、それまでの間、君に愛しの姫君のナイトになってもらおうと思ってね。」
多分オレの顔は一瞬にして真っ赤になったに違いない。
「な・何を根拠にそんな…。」
「あれ?違ったかね?わたしはてっきりそうだと理解していたのだがね。」 魔法使いはしれっと言う。
「大体、君の態度を見てると言わずもがな、だと思うよ。」
「…。」 オレは口をぱくぱくさせて、なんとか反論しようとしたが、結局言葉が見つからなかった。
「だからね、」魔法使いは微笑ましい、といった表情で言葉を継いだ。
「一石二鳥と言うか何と言うか、丁度姫君の目的と君の利害は一致する訳だから。その間にわたしは、君が元の世界に戻る方法を見つけるよ。それとも君は、これから先、姫君がどんな危ない目に合おうとも、知らんぷりが出来るとでもいうのかい?」
オレはぐっと詰まった。
「だろう?大体君は、見るに見兼ねて、かのユニコーンの魔物を叩き切ったじゃないか。」
「どうしてそれを?!」 オレは思わず大声を出した。
「あのね。」 魔法使いはこめかみに手を当て、大きく息を吐いた。
「わたしは姫君の名付け親ともなった魔法使いなのだよ。甘く見てもらっては困るよ。大体、ユニコーンの話しと姫君の態度を照らし合わせて、君の存在というものを考え合わせれば、自然と答えは出てくるじゃないか。」
「…。」 オレは思わず唸ってしまった。
「それは置いといて、君はだから、姫君を守って一緒に行ってくれるのかい?」 魔法使いはオレの目を真剣な眼差しで見つめた。
「…解りました。一緒に行きますよ。でも、姫君は納得してくれるでしょうか?いきなりオレみたいなのが一緒に行く事になって。」
「それなら大丈夫だよ。わたしが君をもう一度姫君の中に戻してしまうからね。」 魔法使いは瞳に笑いを浮かべて言った。
「えっ?そんなぁ!やっと自由に手足が伸ばせるようになったと思ったのにィ!」 思わずオレは本心からの不平を訴えた。
「しようがないだろう?君の存在を姫君は知らないし、姫君の心に頼る気持ちを芽生えさせてもいけない。だが姫君の身は守らなくてはならない。わたしにはこれしか他に手段が見つからない。もし他に良い方法があると言うのなら教えて欲しいぐらいだよ。」魔法使いは苦笑いを唇に浮かべながら言った。
「どうだろうね?」
オレは両手を広げて見せるしかなかった。
「そう説明されたらオレに反対できる訳ないじゃないですか。はい、はい。おっしゃる通りにします。オレだって、この人の為に、何かしてやりたいと思っているから。別にあなたに頼まれたからって訳じゃありませんからね。」 ちょっとだけオレは魔法使いに釘を刺した。
「ああ、勿論だとも。君は立派なナイトだよ。」 魔法使いはニッコリ笑って言った。
「そんな君にわたしから少しばかりの贈物を進呈するよ。ひとつは、君が姫君の中に戻っても、君の視覚は姫君に頼る事なく、好きな時に好きな場所から、例えどんな角度でも見る事の出来るようにしてあげるよ。そうすれば君は誰にも知られる事なく、好きなだけ愛しの姫君を見つめ続ける事も出来る。」 魔法使いはにやりと笑って、いたずらっぽく片目を閉じて見せた。それを聞いてオレは多分、また真っ赤になったのだろう。魔法使いは今度は声に出して笑い始めた。







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