「…そうなの…。ねえ、あなたが銀砂の国に入られた時異変に気付いた、と言われましたね。その異変と言うのは、銀砂の国の中心である黄昏の城に近づくにつれ激しくなっていった、と。そこから考えると、そのお客人が後の魔王であった、というのは、私の考え過ぎかしら…。」
ユニコーンは考え込んだ。
「いえ、姫君。おっしゃる通りかも知れません。そう考えれば、黄昏の城に近づくにつれて正気を失い、身はおぞましい魔物へと変化を遂げていった理由が解ります。魔王の勢力圏に侵入して行くにつれ、その影響力が強くなって、そのようにならざるを得なかった、という事ですね。」
「ええ。そう思えてならないの。間違っているかしら?」
「…姫君…、わたくしは今になって思うのですが…、」 ユニコーンが瞳を伏せて言う。
「全てを魔王のせいにするのはたやすい事ですが、その実、本当の原因はわたくし達自身の中にあったのではないか、と。」 ユニコーンは少し悲しげだ。
「わたくしはずっと考えていました。化け物という器の中では、考えるしかできませんでした。そして気が付いたのです。汚れを恐れ、汚れにあえば我と我が身を滅ぼすと言われているこのわたくしが、実は心の奥底にほんの欠けら程ではあっても、銀砂の国の姫君に対する嫉妬の念があったのでは、と。」
「ユニコーン…。」 姫君は痛ましそうにユニコーンを見た。
「ええ、残念ながらそうなのです。わたくしは我が王子のお心を奪ってしまわれた姫君に、心からの祝福と共に嫉妬の思いも抱いていたのです。」 ユニコーンは苦笑いを唇に浮かべ、自嘲気味に言う。
「そしてそこに魔王がつけこんだ、というよりも、わたくしはそのわたくし自身の闇に魔王の波動が共鳴して、巨大化し、我と我が身を飲み込んでしまった、と思うのです。全く情けない。わたくしは自分がユニコーンである事すら恥ずかしく思えます。」
「…いいえ、ユニコーン。私、あなたを尊敬します。辛い事実と真っ直ぐに向き合い、そこから逃げる事なく全てを受け止め、そして立ち向かおうとするあなたの強さに敬服します。」 姫君はユニコーンの青い瞳をじっと見つめた。
「姫君…。わたくしにはそのような価値はございません。わたくしはただ、真実を申し上げているだけです。」
「それでもあなたは自分を卑下する必要はない、と私は思います。あなたは心の全てを魔に支配される事がありませんでしたもの。他の従者の方達とは違って。」 姫君は真剣な口調で言った。
「…そうでしょうか…?」 ユニコーンは瞳に期待を込めて姫君を見返している。
「ええ。私はそう思います。」 姫君はにっこり笑って受けあった。
「ありがとうございます!おかげさまでわたくしは、やっと安心して我が王子にお会いする事が出来ます。今の今までわたくしは、申し訳なくて我が王子に会わせる顔がなかったのです。」 嬉しそうにユニコーンが言った。
「お役に立てたとしたら、幸いですわ。」 姫君も嬉しそうだ。一気に場はやわらいで、和やかな空気に包まれた。どうやら、この新しい旅の道連れは、かなり気持ちのいい奴みたいだ。オレは成り行きにはずいぶんと戸惑ったげど、取りあえず腰を据えて見守っていく事にした。
旅は続く。砂漠を越え、国境を越え、東の果て、天山を目指して。途中ではまた何度も魔物に襲われた。でも、今度はユニコーンが大層な働きぶりで、姫君と見事なコンビネーションを発揮して、次々と魔物を倒して行く。まったく、こいつはかなり俊敏な奴だ。その動きで魔物を振り回し、惑乱させ、姫君が光りの剣を振るい易いようにしている。おまけにちょっとした魔法の心得があるみたいで、ケチな魔物ぐらいなら、彼一人でなんとかやっつける事も出来た。たいした奴だ。改めて見直してしまった。ふん。オレは姫君が無事ならいいんだ。別に文句はない。感謝の言葉や微笑みが欲しかった訳じゃないから。でも、この割り切れない気持ちは何だろう…。
「見えてきましたよ。あの、一番高い峯が天山です。」
ある日、朝の陽射しにシルエットで浮かび上がった山並を指し示して、ユニコーンが言った。
「あの天山の、頂上に近い洞窟に、あなたの名付け親となった魔法使いがいるのですね。」
「ええ。やっと会えるのですね。でも、彼は私の力になって下さるかしら…。」 ちょっと不安そうに姫君は言う。
「大丈夫ですとも。名付け親とはある意味、実の親以上の義務と責任があるものなのです。彼は姫君の名付け親となった時から、その運命を受け止めている筈ですよ。」 乳母さんが安心させるかのように、微笑みかけながら言った。
「きっと、何か良い手段を講じて下さいます。さあ、参りましょう。」
それからまた幾日か、山道を登り、かなり厳しい崖や谷を這い上がりよじ登りして目指す洞窟へとやっと辿り着いた。そのころにはもう、姫君も乳母さんもぼろぼろの状態だった。旅の辛さが察せられる恰好だ。完全なお姫様育ちが良く頑張ったものだと思う。それでも希望に燃える目が、彼女達を支えていた。
「お頼み申し上げます!こちらは『青銀の魔法使い』のお住まいでしょうか?私は緑花の国の王女です。お願いがあって参りました。どうか、お目通りを!」
入口に立って姫君は中に向かって呼び掛けた。すると直ちにすぐ耳元で応えがあった。
「おお、我が名付け子の姫君か!良くぞ参られた!さぁ、入られるが良い。わたしもお待ちしていたのだ。」
二人と一匹は少し驚いたが、頷き合うと洞窟の中へと足を踏み入れた。
「良くぞ参られた。」
にこやかに出迎えてくれたのは、長い銀髪を額の金色の輪で抑えた背の高い青年。
「お久しゅうございます。名付け親の君。私が緑花の国の王女。こちらが私の乳母、『瑞穂の乳母』と呼ばれております。そして紅玉の国の王子様付きのユニコーンです。」 姫君は軽く一礼して紹介した。
「紅玉の国の?」 魔法使いは怪訝そうに尋ねた。
「はい。旅の途中でひょんな事から出会い、共に旅して参りました。王子様の行方を探しております。」 姫君は要点をぼかして説明した。
「姫君。」 ユニコーンが少し苦笑交じりに口を挟んだ。
「正直におっしゃってもかまいませんのに…。わたくしは、恥ずかしながら化け物となって砂漠をうろつき、姫君に退治されてやっと元の姿に戻る事が出来た愚か者にございます。」
「退治された、とは?」
「はい。光りの剣で真っ二つにしていただきました。」
「真っ二つですか?」 魔法使いは姫君の顔をじっと見つめた。その藍色の鋭い視線は、姫君を通り越して中のオレを見つめているような気がした。
「はい。見事に真っ二つに。」 ユニコーンはにっこり笑って答えた。
「ふうん。」 魔法使いは何か言いたそうにしたが、一つ頷くと皆を部屋の中へと案内した。
「まあ、いい。立ち話もなんだから、わたしの部屋にお入りなさい。狭いけど居心地は良いよ。」
通された部屋は、壁には一面タペストリーを張り巡らせ、家具と言えば簡素なベットに小さなテーブル、そしてあちこちに山のように積まれた大量の本という場所だった。そして、洞窟の中だというのに何故か、大きな暖炉があって、そこには心地良い暖かな炎がぱちぱちと燃えていた。
「さあ、楽にしてくれたまえ。と言っても、椅子がないな。」 魔法使いが指をパチンと鳴らすと、柔らかそうなクッションの付いた椅子が二つと、床に敷物が一枚現れた。
「何か飲物はいかがかな?」 魔法使いは自分は空中にまるで椅子があるかのように腰掛けて、皆に座るよう促しながら、空中で何かを手繰り寄せるような仕種をした。すると、壁の中からするすると湯気の立つ飲物が入ったカップが三つと深皿が現れた。驚いて見ていると、カップは各々の手に納まり、皿はユニコーンの前に着地した。甘く、それでいて爽やかな香りがする。
「どうぞ。お気に召すと宜しいが。」
ニコニコともてなす魔法使い。確か姫君の名付け親だと言っていたよな。という事は、何でこんなに若いんだ?オレは姫君の中で首を傾げた。魔法使いって者は、たいてい長い髭を生やした爺さん、って相場は決まっている。なのにこの人はどう見ても三十そこそこの若さに見える。
姫君はカップの暖かさに旅の疲れが癒されたようにほうっと吐息を漏らした。その湯気の向こうから魔法使いがこちらを見ていた。ふと、その澄んだ藍色の視線と目が合ったような気がした。いや、そんな筈はない。オレは姫君の中の意識に過ぎないんだ。誰がそんなものの存在を想像だにするものか。
「それで、わたしに会いに来た理由というのは?」 やはりニコニコと魔法使いは尋ねた。
「はい。実は、我が父王の元に『魔王』と名乗る者から、我が緑花の国及び国民の安全とを引換に私の身柄を、という要求が参りました。」
「ほう。」
「名付け親の君は、魔王の存在をご存知でしたか?」
「いや。わたしはここ暫く、外界には出ていないものだから。それは何者です?」
「私が得た情報によりますと、彼は二年程前に銀砂の国に現れ、客人として黄昏の城に迎えられ、夜の塔に住まうようになった、と。そしてそれから徐々に力を及ぼしだし、今や銀砂の国を中心に世界を荒廃させ、闇の世界へと引き込もうとしている、というものでした。」
「ふうむ。成る程。では、世界は今、どうなっているのです?」
「はい。旅の途中見た銀砂の国は既に荒れ果て、魔物や化け物がうろつき回る魔界となっておりました。そして、我が緑花の国も国境付近では魔物が出没するようになっており、あちこちの国では季節はずれの嵐が吹き荒れ、砂嵐が襲うようになっております。」
「魔物、とな。確かにこの世界には、自然発生的に魔物が現れる事はなかった。その可能性も僅かだった。だが、他の事はどうだろう?」
「この世界はとても安定した世界であり、人々もその安定を望んでおります。それは決して変わる事がありません。」
魔法使いは眉間にシワを寄せて考え込んだ。
「だとすると、やはり外からの力…。」
「はい。魔王は異邦人だという事です。でも、私には魔王が全ての元凶だとは断言できない所があるのです。」
「…で、わたしに何を望まれる?」
「はい。私は魔王の元へ参ろうと思います。人質としてではなく、私の考えが、正しいのかどうかを確かめるために。そのためには、今の私には力が足りません。どうか、私にご助力を。」
魔法使いはニッコリと微笑んだ。
「よくわかった。あなたの判断は正しい。あなたはあなたの思うように行動なさると良い。わたしも出来る限りの手助けはしよう。では先ず、これだ。」 魔法使いが一つぱちんと手を叩くと、時が停まった。
「おい、おい。そんな大袈裟な事は言わないでおくれ。わたしはここに居る者達の意識を一時止めただけだよ。」 魔法使いは苦笑いしながら言った。
「それより、君は一体誰なんだい?姫君を一目見た時から、姫君の中の別な存在には気付いていたのだがね。それでも正体がよくわからなくてね。ともかく話してみようと思って、こういう手段を取ったのだよ。君が悪意ある者とは思えないんだけどね。さあ、もう君は君の思うように動ける筈だ。話してくれないか。」
「そんな事を言われても…。」
( うわっ、本当だ。姫君の口が姫君の声でオレの言葉を話している!) オレは思った。
「一体何を話せば良いんですか?」 なんだか感動してしまう。
「そうだね。さしつかえ無ければ、自己紹介して欲しいな。それから、何処からどうやって来たか、も教えて欲しい。」 魔法使いがじっと目を見つめて言った。
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