王様は人々を見渡して言ったが、人々はひたすら目を伏せ、誰も申し出ようとはしない。
「我の願いを誰も聞き入れてはくれぬのか?そうだ!騎士ノアールよ。そなたはどうじゃ?そなたは姫の求婚者でもある身じゃ。先程も姫の身を案じて、あのような事をしたのであろう。ならばもう一度、姫を護って共に天山まで、そしていっそかの魔王から姫を護ってはくれぬか?」
指名されたかの騎士は意外なほどうろたえた様子で
「いえ…わたくしなど…」 と、まともに返事すらできないようだ。
(おい、おい。あんた、この姫君の事を好きなんじゃなかったのかよ。単に他の奴の物になっちまうのが悔しかったってだけかあ?適わないのが解り切っている相手とは、喧嘩の一つもできないってか。呆れたもんだな。騎士道精神はどこへ行ったんだ?) オレはなんだか無性に腹立たしかった。この姫君がどういう運命に陥ってしまったのか、遅ればせながら解ってきたので余計かもしれない。
そんな、奴の様子をどう思って見ていたんだろう。いきなり姫君が口を開いた。
「お父様、そのような無茶をおっしゃいますな。無事で戻れる可能性の、殆どない旅などに、誰が進んで赴いてくれましょうや。私は、一人で参ります。自分の運命は、自分で切り開かねばならないのです。」
(…かっこいい…) オレは内心、舌を巻いた。この姫君はただ者じゃない。
「そうか…。ならば好きにするがよい…。だが、我は口惜しい。我に力がないばかりに…。」 王様が目を伏せて言う。
「いいえ、お父様。お父様にはこの国と国民を護る義務がございます。私の事でしたら大丈夫でございます。例え魔王のもとへ行こうとも、生ある限り希望は決して捨てませぬ。」
その口上を聞いて王妃はなをさら泣き声を高める。
「何と不憫な…。」
「姫様…。」 おずおずと口を開いた者がいた。
「私がご一緒してもよろしゅうございましょうか…?」 振り返ると、さっき出迎えてくれた乳母さんだ。
「乳母や…。」
「足手まといになるやも知れませぬが、この手で育てた姫様を、唯のお一人でそのような所に、ましてや魔王なんぞのもとに送り出すなどできませぬ。ええ、誰が行かなくても私が参ります!」 話してる間に興奮してきたのか、後の方は断言調になっている。
(こりゃあ、乳母さん、本気だ。) オレは思わず拍手をしたくなった。頼りなさそうなこんなオバさんが、我が子同然の姫君のため、なんとか少しでも役に立とうとしている。あの騎士に、爪の垢でも煎じて飲ませたい。
「ありがとう、乳母や…。」 姫君はまた乳母さんの手をとった。
「でも、あなたを危険な目に合わせる訳には…。」
「いいえ!止めても無駄です!では、準備もございますので、私はこれで失礼いたします!」 乳母さんはさっさとその場を立ち去って行く。止められてたまるものかといった様子だ。
「姫よ…。」 その後ろ姿を見送りながら、王様は言った。
「我はそなたに済まないと思っている。いざとなったら我はそなたをやはり魔王のもとへ送り出す事であろう。何もしてやれぬふがいない親だと呆れてくれても良い。だが姫、そなた、もし好きな男があるのならば、共に逃げても良いのだぞ。いや、例え一人でも逃げて欲しい!」
オレははっとして、王様の顔を見直した。苦渋に満ちた父親の顔。
「そう、先程出掛けた時も、内心戻らぬ様にと祈っておった…。」
「お父様…。」
「のう、今からでも遅くはない。逃げてはくれぬか…?」
「いいえ。私は、逃げたり致しませぬ。」 姫君は凛とした声で言った。
「私は大丈夫でございます。お父様の娘を信用して下さい。なんとか道を切り開いてみます。それでは私も準備がございますので、これで退出させていただきます。」
姫君はすっと一礼すると、きびすを返して大広間から出て行く。その背中をただ王妃の泣き声だけが追い駆けて来た。
コツコツと靴音だけが暗い廊下に響いている。この、強い女を地で行っているような姫君は、どんな気持ちでいるのだろう。
この姫君が陥った運命は、ファンタジーに有りがちな物だけど、なんだかオレ自身の事の様に思えて仕様がない。姫君の中にいるせいなのかな。だから、姫君がどんな気持ちなのか気になるし、ある程度、解るような気がする。あれ?オレ、どうしちまったんだろう?姫君は長い廊下を歩き続けている。
やがて階段に突き当たった。姫君はゆっくりと登って行く。ジグザグに続く階段。どうやら塔を登っているらしい。かなり高く迄登ってやっと一つのドアの前に着いた。可憐な花が浮き彫りにされてる。姫君の部屋なのだろう。ドアノブに手を掛けてけてゆっくりと引き開け中に入り、ふと振り返るとそこには一人の少女が立っていた。月の光りのような髪に草原を吹き渡る風のようなみどり色の瞳。まだ十四か十五か、少なくてもオレより年下だろう。すげえかわいい子だ、と言う訳じゃないけど、なんか良い感じの子だ。それが一体何が悲しいのか大きな瞳に一杯涙を貯めて、泣き出すのをこらえるためなのか懸命に唇を噛み締めて立っている。オレは思わず抱きしめて慰めてやりたい衝動に刈られた。どうしてだろう。こんな、年端も行かない女の子を一人で泣かせておいてはいけない。そんな気がした。 とうとうその綺麗な瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちた、と見るとふいに視界から彼女の姿が消え失せ、オレはオレ自身の体が床に投げ出されている事を知った。いや、オレじゃない。オレを中に入れた姫君だ。姫君は声を押し殺して泣いていた。無理もない。女の子の身でこんな運命に見舞われ、しかも恋人には裏切られ、頼りにできる人もないのだ。たぶん、オレでもメゲるだろう。
秘そやかに姫君は泣き続けている。女の子が二人も泣いているっていうのに、こうしてオレは何も出来ずにただ見ているしかできない。歯がみしたくなる。もどかしい。それでも傍観してなきゃなら ないってのか?オレの夢なんだから少しはオレの思い通りになったって良いじゃないか!
どうにもできずに姫君の中で地駄んだ踏みたい気持ちでいると、トントンと軽いノックの音がして、ドアの外から声が掛けられた。
「姫様、乳母でございます。開けても宜しいでしょうか。」
姫君は慌てて起き上がり、頬の涙を拭うと何事もなかった風を装って、ゆっくりとドアを開けて乳母さんを中に招き入れた。
「姫様…、泣いておられたのですか…。」
さすが乳母さん、姫君の事は良く解っている。
「申し訳ございません。わたくし、出直して参ります。」 退がろうとする乳母さんを姫君は引き留めた。
「いいのよ、乳母や。私は大丈夫。それより仕度を手伝ってちょうだい。」 そう言って部屋の中に向き直った時、そこにあの少女が立っていた。いや、違う!オレは自分の思い違いに気が付いた。
(鏡!)
そこには大きな姿見の鏡が掛けられていたのだ。と、言うことは…。あの少女はこの姫君で、オレがいいな、と思った少女と一目置いていた姫君は同一人物だって事か…?
そんなオレの混乱しきった思いなんかに全くお構いなく、姫君と乳母さんは、旅仕度を始めた。
「なるべく必要最小限の物だけを持って行くように。女二人だけの旅ですもの。身軽が一番だわ。」 一見陽気に見えるだろうと思える口調で姫君は言う。
「さようでございますね。わたくしも見た目は逞しそうに見えるらしいですが、いたってか弱くできておりますもの。重たい物を持つようにはできておりません。」 真面目な顔をして言った乳母さんの台詞に姫君はプッと吹き出した。ほんと、オレから見てもこの乳母さんは『か弱い』という表現が全く似合わない。姫君はかわいらしい声で笑い、乳母さんは平然と荷造りを続ける。良いコンビだ。やがてひとしきり笑い終えると姫君は、改まった口調で言った。
「ありがとう、乳母や。」
「わたくしは何もしておりませんよ。」 ひたすら手を動かしながら、しらっと乳母さんは答える。
「ええ、そうね。でも、言わせて頂戴。心の底から有り難いと思っているわ。」
「姫様…。」 乳母さんは下を向いてそっと涙を拭っている。マジにこの乳母さんとなら、姫君も大丈夫だと思えた。
「さぁ、これで良いわ。明日は夜明けと共に出発しましょう。今日はもう、やすみましょう。」
「はい。」
次の日の朝早く、夜がまだ明け切らないうちに、姫君と乳母さんはすっかり旅仕度を整えて、城の前庭に出ていた。見送る者は一人もいない、寂しい旅立ちだった。
「行きましょう。」 姫君は真っ直ぐに前を見つめ、馬を歩ませていく。その姿は男物のピッタリとしたズボンに飾り気の全くないシャツ、丈夫なのが取り柄と言えそうな皮の胴着、長いブーツに長い旅行用のマント。ちょっと見には少年に見えるだろういでたちだ。果たして本当のお姫様育ちの身で、大変だと言われるこの旅を、無事に終えることができるのだろうか。オレは物凄く不安だ。
城下を抜け、見覚えのある草原を抜け、姫君と乳母とを乗せた馬は歩き続けた。何事も無く数日が過ぎゆく。やがて小さな川に出た。
「さあ、ここが我が緑花の国の国境。ここからが本当の旅の始まり。心して参りましょう。天山はこの先、銀砂の国を抜けた所にあると言う事です。」
「はい。」 乳母さんは真剣な顔をして頷いた。さすがに改めて覚悟を決めたのだろう。オレは目一杯不安だ。
川を渡ると間もなく、辺りの景色は一変した。一面に広がる砂、砂、砂。ああ、だから 『銀砂の国』なのか。変に納得してしまう。
馬を歩ませながら、姫君と乳母さんはたわいもない話しをしている。退屈してきてオレは、姫君の中で昼寝を決め込むことにした。オレには実体が無いし、単なる意識として姫君の中にいる割には、何故か、夜には眠くなるし、見たくない物はさながら瞼を閉じるみたいに見ないこともできる、という便利というか変な事は出来たのだった。
「きゃあ!」
うとうとしていたオレは、姫君の悲鳴で飛び起きた。
見ると、何時の間にか晴れ渡っていた空は一面真っ黒な雲に覆われ、わずか数メートル先にはやはり真っ黒な何物かがいた。
「ば、化け物…。」 乳母さんがひきつった顔で呟く。まさしくそれは化け物だった。背後の黒雲に紛れ、ぼやけて輪郭すらはっきりしないが、邪悪としか言い様のない暗黒の姿。欄々と光る二つの目は、殺気と飢えとを孕んでこちらを凝視している。
(く、喰われる…。) オレは、ぞっと総毛立つような感覚に襲われた。でも、こうして実体すらない、単なる姫君の中の意識の身では、息を飲んで成り行きを見ているしか出来はしない。
姫君は大きく息を吸うと、何か口の中で小さく唱えながら空中に指で何やら文字らしい物を描いた。オレには解らない不思議な呪文。その間にも不気味な唸り声を上げながら化け物は、血の色の目をじっとこちらに向けてじりじりと近寄って来る。
(一体どうする気なんだ?このままじゃ喰われちまう!) オレは気が気じゃない。このまま姫君が喰われてしまったら、中のオレはどうなってしまうんだろう?一緒に喰われてお終いになるんだろうか?所詮夢の中の事だから、目が覚めるだけで終い、になるだけなら良いんだけど…。いや、それじゃこの姫君はどうなる?
呪文を唱え終えた姫君は、右手を天に掲げた。するとそれを目掛けて一筋の光りが真っ暗な空から降ってきて、姫君の手の中で凝縮したように見えた。
(光りの剣!)
そう、姫君の手には、淡く光りを放つ一振りの剣が握られていた。聞いた事がある。光りの剣は破魔の剣。妖魔、妖怪、化け物の類には絶大な威力を持つ。これで戦おうって言うのか?女の子の腕で?
姫君は剣を構えると、化け物に目を据えたまま乳母さんに向かって叫んだ。
戻る