谷を流れる湧き水が小川となり、せせらぎの音が聞こえる辺りに少し拓けた場所があり、野原になっていた。そこに一軒の小屋が建っていて、風の道はその野原を横切るように延びていく。
「よいしょ。」
小屋の前で太一と一郎は風の道から飛び降りた。
「修、ここだ。」
太一が招く。修も身軽に飛び降りた、つもりだったが、失敗して尻餅をついた。
「痛い!」
思わず小さく声を上げた。その時。
「大丈夫?!」
小屋の戸口にいた少女がその声を聞いて駆け寄ってきた。
「ダメじゃない、太一。気を付けなくちゃ。怪我したらどうするの!」
修を助けおこし、怪我がないかどうかあちこち見てやる。心配するのに一生懸命で、自分が人違いをしているのに気が付かない。
「あ、あの…。」
間違えられているのに気付いた修が、説明を試みるが、少女が余りに気遣うので言い出せずに困ってしまう。太一と一郎が、そんな二人の様子を見て、笑い出した。
「雪ねえ。違うよ、そいつは太一じゃないよ!」
「え?!」
一郎の声に顔を上げて、『雪ねえ』と呼ばれた少女は、自分の前の修と一郎の隣に立つ太一とを見比べた。
「太一…。えっ?こっちも?えっ?どうして?誰?」
少女は大いに混乱している様子だ。そしてそれを見た一郎と太一はげらけまらと笑い転げている。見ると太一は笑い過ぎて涙さえ浮かべている。
「雪ねえ。そいつは、修って言うんだ。」
太一が涙を拭きながら紹介した。
「修。この人は雪絵さん。おいら達は『雪ねえ』って呼んでる。」
雪絵は目をぱちくりさせて、修と太一の顔を代わりばんこに眺め続けている。まだ納得がいかないらしい。
「あの…、修です。」
修がおずおずと自己紹介するのに、その、太一や修よりちょっと年上らしい少女は、やっと我を取り戻して、修ににっこり微笑んだ。
「あ、私、雪絵です。ごめんなさいね、びっくりしてしまって…。」
はにかんだ笑顔が可愛らしい。
「無茶ばかりしている太一を、私、いつも叱ってしまっているから、つい、お小言を言っちゃった。弟みたいなものなんだもの。しょうがないわよね。」
やぅぱり多少気恥ずかしいのか、言い訳めいた口調だ。
「世話好きで優しいんだけど、お節介で心配やなんだよ。」
太一がこっそり耳打ちした。
「太一。聞こえたわよ。」
雪絵が太一を軽く睨んだ。
「うへえ。」
太一が首を竦めた。一郎が吹き出した。つられて雪絵も笑い出す。修も笑いに引き込まれて、四人はしばし笑い転げた。
「雪ねえ。一真(かずま)は?」
ひとしきり笑い転げた後で、太一が雪絵に尋ねた。
「うん。風親父にお使いを頼まれて出かけているの。」
雪絵の返事に太一は思い切り顔をしかめた。
「え〜!修に会わせたかったのになあ。」
「そうね、残念。でも、風親父の言いつけじゃあ仕方ないわ。」
雪絵も苦笑して肩をすくめた。
「ん。おいら達、修をおいらの友達に会わせようとあちこち回ってるんだ。」
太一が残念そうに言った。
「雪ねえに会えたけど、一真にはまた今度、かあ。」
しかし、雪絵はにこにこしながら、小屋の入り口を指さした。
「だったら、入って待たない?お菓子があるわ。」
「お菓子!」
太一と一郎が同時に反応した。雪絵がより一層笑顔になる。
「修も一緒にどうぞ。」
太一、一郎、修は、雪絵の後に続いて小屋の中に入った。
太一も一郎も勝手知ったる我が家のように上がり込み、囲炉裏端に陣取っている。修はきょろきょろと物珍しそうに辺りを見回す。古い造りの家のように見える。
「修もここに座りなよ。」
太一が招く。
「うん。」
修が太一と並んで座ると、雪絵が土間になった台所から、お盆にお菓子と湯飲みを乗せてやってきた。
「はい、お待ちどうさま。」
「わーい!」
太一と一郎が一斉に手を出した。口一杯に頬ばる。雪絵がにこにことそれを見守っている。
「修は食べないの?」
一郎が口の中にお饅頭を詰め込んだまま、もごもご言った。
「食べないなら俺が貰っちゃうよ。」
「こら。だめよ、一郎。」
雪絵が窘めた。そしてお盆の上からお菓子を小皿の上に移すと、それを修の手に押しつけた。
「はい。これは修の分。きちんと自分で食べてね。まったく、この二人の食欲と来たら、底なしなんだから。放っておいたら何も残らないのよ。」
雪絵がけらけら笑いながら言ったのに太一が口を尖らせた。
「え〜!おいらは違うよ。ちゃんと我慢してる!」
「太一。修がいらない、って言ったら、あんただって絶対手を出していたでしょ?それじゃあ、違うって言わないの。」
すかさず雪絵が突っ込む。
「う…。」
太一が詰まるのに一郎が横から茶々を入れた。
「ばーか。墓穴掘ってやがんの。」
太一がそれを聞いてぷうっと膨れた。
「お前に言われたくないや。」
「それはそうね。元は同じ穴の狢、ですものね。」
雪絵が笑いながら混ぜっ返すのに、太一と一郎が揃って渋い顔をした。
「雪ねえ、それ、キツい。」
思わず修が吹き出した。つられて一同笑い出す。
「だから、修も遠慮なんかしないの、ね?」
雪絵が修に念を押す。
「うん。」
修は頷いて、お皿の上を見た。正直お腹は空いている。太一とかなりの距離を走ってきたのだ。お皿の上には素朴なお饅頭と小さな色とりどりの星のような物。修には馴染みのない物だ。
「これも、食べられるの?」
修が不思議そうに指さすのに、太一が面食らったような顔をした。
「お前、金平糖(こんぺいとう)、知らないの?」
「金平糖?」
「お砂糖で出来ているのよ。」
雪絵がひとつ摘み上げて、かりっと噛じって見せた。修も真似をして口に入れてみる。
(甘い…。)
それは優しい懐かしい味がした。
「な、甘くて美味いだろ?」
太一が自分の口に金平糖を二つ三つ放り込んで言った。
「うん、美味しい。」
修の様子に雪絵が目を細める。
「気に入ってもらえて良かった。」
四人は美味しくおやつを食べた。
からり、と軽い音を立てて小屋の扉が開いた。
「あ、お帰りなさい、一真。」
雪絵が声をかけたのは、太一達と同じ年頃の少年。彼はその場にいた者達を一瞥すると、無言で台所に行き水瓶から水を汲み上げるとごくごくと飲み干した。
「やあ、一真。お帰り。お使い、ご苦労様。」
太一が声をかける。一真と呼ばれた少年はじろりと太一の顔を見て、それから修の存在に気付いて無言で目を見開いた。
「驚いたか?こいつは修、っていうんだ。おいら達、今、こいつをおいらの友達に引き合わせて回ってるんだよ。」
太一が自慢げに紹介した。しかし一真は相変わらずの無言で、取り付く島もない。
「なんだ?風親父に怒られたのか?今日はいつもより機嫌が悪いな。」
一郎がにやにやしながら言った。一真はそれを聞くと一瞬むっとした顔をして、いきなりくるりと踵を返し、すたすたと小屋から出て行ってしまった。一同呆気に取られてしまう。
「…マズいなあ、図星だったみたいだ…。」
一郎が頭をかりかりと掻いた。
「お前、ちょっとは気を使えよなあ。」
太一がため息をついた。
「せっかく修を連れてきたっていうのに、さ。一緒に遊ぶつもりだったのに。」
「ん、悪い。」
一郎がしょげている。
「ごめんなさいね。虫の居所が悪かったみたい。後で言い聞かせておくから。」
雪絵が済まなさそうに言う。
「雪ねえのせいじゃあないよ。そんな時もあるさ。」
太一が取りなす。
「おいらも修も気にしてないって。な?」
太一が合図したのに修も頷いた。
「うん、気にしてない。」
雪絵はほっとしたように微笑んだ。
「ごめんなさいね。ほんとは優しい子なのよ。」
雪絵が庇ってそういうのに太一も付け加えた。
「いつもは頼りになる良い奴なんだ。今日はタイミングが悪かっただけなんだ。」
「うん。」
修は頷いて笑って見せた。
それきり一真は戻らなかった。最後にお茶を飲み干して、三人は小屋を後にした。雪絵は済まなさそうな顔をして見送ってくれた。
(変な奴だったな。雪絵さんはあんなに良い人なのにな。)
太一と並んで歩きながら修は思っていた。
「修。」
そんな修の思いを察したものか、一郎が話しかけてきた。
「あのさ。一真はぶっきらぼうだけど良い奴なんだ。今日は俺が変な事を言ったせいで、怒っちまっただけなんだ。本当だぞ。だから…。」
「ん。わかった。」
修は一郎に笑って頷いた。皆にこんな風に庇って貰えるんだから、本当に一真は良い奴なんだろうな、と思った。
小川を歩いて渡り、対岸の大岩の上からまた風の道に飛び移る。
「一郎。この時間だとさきはお花畑の方にいると思うんだけど?」
太一が一郎に言った。
「そうだね。俺もそう思うよ。」
一郎も請け合った。
「誰?」
修がわくわくしながら訊いた。
「今度は誰に会わせてくれるの?」
「ん?女の子だよ。」
太一がそれだけ言うと、ぷい、と前を向いて走り出した。
「待ってよ。」
慌てて修達も後を追う。一郎がくすくす笑いをしている。
「なに?」
修が興味を引かれて尋ねた。
「うん?あれ、さ。太一のヤツ、照れてるから、さ。」
「え?」
「え?って、お前、鈍過ぎ。あいつさ、さきが好きなんだよ。」
「一郎!」
先頭から太一が怒鳴った。
「余計なことを言うな!お前が雪ねえを好きなこともバラすぞ!」
一郎が真っ赤になって怒鳴り返す。
「太一!お前、それ、言っちゃってる!バカ!」
「あ!」
太一が口を押さえたが、もちろん遅かった。
「テメエ!コンニャロ!」
一郎が拳を振り上げて追いかける。
「あわわっ。」
太一は速度を上げて逃げにかかる。
「あっ!待ってよ!」
修も急いで後を追った。
道は、一度山の上まで登って、それから山肌に沿って下っていく。
追いかけっこはいつしか笑いに紛れて、結局いつもの仲の良い二人に戻っている。
(友達って良いな。)
修はそんな二人が羨ましい。
(僕も、この人達とこんな風な友達同士になりたい。)
修の思いを知ってか知らずか、二人はあっかんべえをしたり、しかめっ面をしたりしあいながら、前方を走っていく。
道が大きく曲がっているところに差し掛かった時、修がふと、後方の物音に気付いて振り返った。見ると、なにやらもうもうと砂塵を巻き上げて風の道をこちらの方へ走ってくるものがある。
(何だろう?あれは?)
不思議に思って、何でも良く知っている太一に聞いてみることにした。
「太一。ちょっと、あれ、何だろう?」
「いっ?!」
振り返った太一の顔色が一瞬のうちに変わった。
「げっ!」
続いて振り返った一郎も顔色を変えて太一を見た。太一は一つ頷くと、修の手をひっ掴んで全速力で走り出した。一郎もすぐ後に続く。
「なに?どうしたの?」
喘ぎながらも太一に尋ねる修に、太一は舌打ちをして顔をしかめた。
「今、説明してられない。兎も角、急ぐぞ!」
とりあえず風の道に沿って森の中に逃げ込む。そして、小さな木々が生い茂る藪を見つけて、太一と一郎は飛び込み、修を引きずり込んだ。二人は腰を落ち着けると、ほうっと大きなため息をついた。
「ねえ、何なの?」
修が興味津々で尋ねる。
「しーっ!」
太一が唇の前で指を立てた。ひそひそと声を低める。
「見つかるとヤバいんだ。静かに、そうっとそこから覗いていてごらんよ。」
修は太一の言った通り、葉陰からそっと覗き見していた。すると、砂煙を巻き上げながら、何かが物凄い勢いで走って来るのがわかった。
(何だ?あれ…。)
一番最初に思い浮かんだのは、何かの挿し絵で見た『風神・雷神』の絵だった。どんぐりまなこを剥き出して、凄まじい形相をした大男が、怒濤の如く風の道を疾走してくる。
「うわっ!」
思わず小さい悲鳴が上がる。太一が慌てて修の口を押さえた。
「バカ!静かにしろってば!」
修の耳元で太一が囁く。
「ご、ごめん。でも、あれ…。」
修も囁き返す。
「しーっ!」
その時、台風並の風を伴って、その大男は彼らの潜む藪の前を通り過ぎた。緊張感が三人を包む。やがて、その足音が遠ざかっていくと、お腹の底から安堵の息が漏れた。
「ふうっ。」
「やれ、やれ。」
太一と一郎は一気に力が抜けた様子だ。その場にへたり込んでいる。
「ね、あれってなんなの?」
修が知りたがってうずうずしている。
「ん?ああ。」
やっと太一が答えてくれる余裕を取り戻したらしい。
「あれは、さ。『風親父(かぜおやじ)』だよ。おいら達のお目付役兼親代わりみたいなもんなんだ。」
「おっかない親父なんだぜ。こーんなでっかい拳骨で、俺の頭をぽかり、ってぶつんだ。」
一郎が両手を広げた。
「一郎、それはかなりオーバーだと思う…。」
修が突っ込みを入れた。
「うん。その通り。だけど、おっかないのも拳骨がでかいのも本当だよ。何せあの図体だから。」
太一が一郎の援護をする。
「それにしても、あれ、絶対怒ってたよなあ?」
「うん。俺達、何か悪い事したっけ?」
「ひょっとして、修を連れ歩いているのがバレた、とか?」
太一と一郎は顔を見合わせた。
「…ヤバいな…。」
「ん…。絶対、火を噴いて怒る。」
二人の表情が思いっきり暗くなる。途端、太一がふるふると頭を振った。
「えーい!考えても仕様がない!捕まったら素直に怒られてやるさ!それまでは、楽しんでやる!」
太一が両手を握りしめてヤケクソで叫んだ。
「…痛いのはイヤだけど、ね。」
一郎が簿そりと呟いた。
「…おいらもイヤだ…。アイツの拳骨って、めっちゃ痛いんだよね…。」
太一が天を仰いでため息をついた。
「…こうしていても何も始まらない。さきに会いに行く!」
どんよりとした空気を振り払うように、太一が元気良く叫んだ。修には半分ヤケを起こしているように見えたが、敢えて突っ込みはしなかった。
三人してまた風の道を、今度は少しとぼとぼと歩き出す。しかし、本来元気な男の子三人組だ。いつまでもしょげている訳がない。
「修は、好きな子、いないんか?」
「え?」
いきなりふられて、修は素っ頓狂な声を出した。太一がにやにや笑っている。
「い、いないよ。僕、そんなの…。」
「ふうん?」
修が困惑した顔で答えたのに、太一はにやりと笑った。
「嘘だな、その言い方は。白状しろ。その子はどんな子なんだ?可愛い?」
「う…。」
修は完全に窮地に立たされた。ほとんど学校に行っていない修には、そんな懇意な女の子なんている筈もない。でも、たまに学校に顔を出すと、とても親切にしてくれる子がいて、ちょっとだけ気になっていたのも確かだった。だから、余計に太一に無碍に否定できない。
「止せよ、太一。修を苛めてどうする?ほら、それよりどっちのお花畑に行くんだ?さきはどっちにいると思う?」
一郎が助け船を出してくれた。
「あ。うん、そうだなあ。たんぽぽの方じゃないかなあ?あいつ、たんぽぽが一番好きなんだ。」
太一の興味が逸れて、修は内心ほっとした。三人は二股に分かれた道を右にとる。少し行くと広い野原に出た。一面のたんぽぽ。黄色い花と白い花。そして綿毛が織りなすパステルカラーの世界。
「…すごい!きれい!僕、こんなの初めて見た。」
「そうか。白たんぽぽがこんなにある場所は珍しいからな。」
修が感嘆の声を上げるのに、太一が自慢そうに鼻をひくひくさせた。
「何言ってんだい!ここのたんぽぽ達の世話をしているのはさきじゃないか!お前の手柄みたいな顔をするな!」
一郎が突っ込む。
「えへっ。」
太一が舌を出した。一郎がため息をつく。
「あれ?太一?」
その時、花陰から女の子の声がした。振り返るとおかっぱ頭の女の子が、驚きに目を丸くしてこちらに立っていた。
「太一…だよね?なんで太一が二人…?」
可愛らしい頭を傾げて不思議そうに太一と修の顔を見比べる。
「ぷーうっ!」
一郎が吹き出した。
「やっぱり驚いてる!さき、こっちが太一で、こっちが修。わかるか?これでも別人。」
「へえ…。」
さき、と呼ばれた少女は、まじまじと修の顔を穴の開くほど見つめた。
「やだ。見分け、つかないよ、私。」
ため息つきながらボヤいた。
「あはは…。まあ、しょうがないけど…。」
太一が苦笑いしている。
「修。さきちゃんだ。さっき話に出ていた子だよ。」
一郎が紹介してくれた。
「あ、あの、太一が好きだって…。」
「あわわ…。今、おいら達、修に友達を紹介して回っているんだ。さき、修にたんぽぽを摘んでやってくれよ。」
太一が慌てて誤魔化した。
「うん、いいよ。」
さきは軽く請け合って、白たんぽぽの一群に踏み行っていく。太一はその隙に修に耳打ちした。
「修、その話はさきには絶対内緒だ。」
「うん。」
太一の真剣な様子に修は自分も真剣に頷いた。
「その代わり、もう僕に好きな子の事、訊かないでね。」
しかし、ちゃっかりそう付け加えるのを忘れなかった。
さきはその器用な指で花を摘みながらあっと言う間に花冠を編み上げていた。
「え、と…。修。」
「はい?」
呼ばれて振り向いた修の頭にそれを載せた。
「あ…。」
「うふっ、似合う、似合う。」
修の様子を見て手を叩いて喜んでいる。
「まるで何処かの皇子様みたい。同じ顔なのに誰かさんとはえらい違いよね。」
「それって、おいらの事?さき、それはちよっとヒドいよ…。」
太一ががっかりした顔で言った。でも決して怒ってはいない。
「ま、しようがないじゃん。太一の顔には品がないから。」
一郎がぽろりと言った。
「…それって、身も蓋もなくない…?」
太一が情けなさそうに呟いた。
「あ、わかった?」
一郎がだめ押しする。
「…おいら、友達に恵まれてない。」
太一がイジケてしゃがみ込む。
「太一。」
さきがそんな太一の首にたんぽぽの首飾りをかけてやる。
「ほら、双子の皇子様の出来上がり。」
さきの満足そうに二人を見る笑顔。太一も不思議に機嫌が直ってしまう。結局、太一はさきの笑顔に弱かったのだ。
さきとたんぽぽを摘んだり、冠の編み方を習ったりして楽しく過ごしているうちに、いつしか西の空が赤く染まり始めていた。
「修、まずいよ。そろそろ帰らなくちゃ、おばあが心配する。」
太一が修の袖を引っ張りながら、忠告した。
「え…、もう?まだ早いよ。」
いかにも名残惜しそうな修の様子に、さきがくすくす笑う。
「修は駄々っ子みたいね。また、遊びに来ればいいじゃない。心配をかけちゃいけないと私も思うわ。」
「…ん。わかった。帰るよ。」
修は渋々肯いた。
「うん。偉い、偉い。じゃあ、ご褒美に良い物をあげるね。」
さきがにっこりして修を手招いた。
「え?何?」
訳もわからずぽかんとする修の背中を、太一が押す。
「いいから、ついて行くんだ。凄い物があるぞ。」
促されてさきの後を追う。たんぽぽ野原を抜け、藪を抜ける。
「うわあ!」
一目見て、修は歓声を上げた。
「苺!こんなにいっぱい!」
「お前も総代のおばあから聞いたことがあるだろ?」
太一が自慢げに言う。修ははっと思い出した。太一に初めて会った日に、修が目指していた場所。
「ここがばあちゃまの話していた苺畑なの?」
「うん。多分そうだよ。お前、ここに来たかったんだろ?」
「うん。でも、迷子になっちゃったんだ。太一、知ってる癖に。」
修が軽く太一を睨む。
「ははは。そうだっけ?」
太一は受け流した。
「修、はい。お土産。」
その間にさきは手早く小さなかごに山盛りに苺を摘み取って修に手渡した。
「あ、ありがとう。」
修がお礼を言うとさきは飛び切り可愛らしく微笑んだ。
「どういたしまして。お友達になれた記念だものね。また、遊びに来てね。」
「うん。またすぐ来るよ。」
修も請け合った。
「じゃあ、さき。おいら達も修を送って帰るよ。おい、修。行くぞ。」
太一と一郎もさきに別れの挨拶をした。
「うん、またね。」
さきは小さな手を振って笑顔で見送っている。三人は家路についた。
西の空が茜色に染まっている。
「マズいな。この分じゃ、暗くなっちまう。」
空を見上げながら太一が呟いた。
「風の道を通って行ったって、おばあが心配する。」
「ん。どうする?」
一郎が太一に尋ねる。
「しゃーない。あれを使うか。」
太一が決断した。「修、こっちだ。」
さっきとは違う方向に修を導いていく。もう夕闇が降り始めている森の中に踏み込む。
「?どこに行くの?うちはあっちだよ?」
修が怪訝そうに訊く。
「大丈夫。任せとけって。こっちだ。」
太一が修達を連れて行ったのは、双抱え程もあるかのような欅の大木の前だった。幹には大きな洞が口を開けている。人一人が十分に入れそうだ。
「さあ、ここに入るぞ。」
太一が修を引っ張る。
「え?」
暗く底知れぬ闇が口を開けているような錯覚を覚えて、修はたじろいだ。何か言いようのない不思議な感覚が足を止めさせている。
「先、行くぞ。」
修が躊躇っているのにじれて、一郎が先陣を切った。
「あらよっと!」
かけ声をかけてその洞に飛び込む。次の瞬間、一郎の姿は闇に溶け込んだかのように見えなくなった。
「?!一郎!」
「大丈夫だよ。今頃、あちら側に着いている。」
太一が修をあやすように言った。
「あちら側?」
「お前も行ってみれば判るよ。」
修の疑問を太一は軽く流した。
「ほら、行くぞ!」
修の腕を掴んだまま自分は洞に踏み込んでいく。
「太一、待って…。」
相変わらず思い切りが悪い修は、入り口で足を踏ん張って逆らっている。
「だーかーらあ。」
太一がしびれを切らして両手で修を引っ張る。
「やだってば!」
しかし、とうとう修は洞に引っ張り込まれた。一瞬、目の前が真っ暗になり、引っ張られた反動で修は膝をついた。
「おい、大丈夫か?」
太一の声に顔を上げると、真っ暗な洞の中のはずなのにそこは、夕方の心地よい風が吹き渡る森の中の小さな広場だった。
「…あれ?」
辺りを見回して目を丸くしている修を、太一がにやにやしながら見つめている。
「ここ、何処?」
修の問いかけに太一は修を助け起こしてやりながら答えた。
「お前んちのすぐ裏の山の中だよ。」
「え?どうして?さっきまでずっと遠い所にいたじゃない?それに、あの欅の木は?僕達、あの木の洞の中に入ったんだよね?」
矢継ぎ早に繰り出される修の疑問に、太一はにやにやしている。
「あ、やっぱり驚いてる!」
太一の後ろから一郎が顔を出した。面白そうに笑っている。
「あ、お前は引っ込んでろよ。おいらが説明してやるんだからさ。」
太一が一郎を押し戻す。
「あの欅の木は、空間のトンネルになっているんだ。あそことここを結んでいる。この辺りにはそんな所があと二カ所あるよ。そのうち教えてやるからな。」
「へえ…。ずいぶん不思議な場所があるもんだねえ。どうなっているんだろう?」
修が感心して肯く。
「ん。天狗の抜け穴って言うらしいよ。どういう仕組みになっているのかは、おいら達も知らないけどな。」
「ほら、愚図愚図していると暗くなるよ。」
一郎が空を見上げて二人を急かす。
「いっけねえ!修、急ぐぞ!」
太一が修の手を引いて駆け出す。
「あ、俺はここから帰るよ!」
一郎がその後ろ姿に声をかけた。
「うん。また、な!」
「さようなら!」
それぞれが軽く手を振って、修と太一は一郎と別れた。太一は修の手を引きながら山道を駆け下りていく。空には一番星が輝きだした。
「あらよっと!」
最後に小さな石垣を飛び降りると、そこはもう修のおばあちゃんの家の裏庭だった。
「何とか間に合ったかなあ。」
太一が呟いた。
「総代のおばあに心配はかけたくないからな。」
修は流石に疲れが出てきて、少し息があがっている。
「修、ここからなら一人で大丈夫だな?おいらもこれで帰るよ。」
太一が早口で別れを告げた。
「え?帰っちゃうの?ばあちゃまに紹介しようと…。」
修が慌てて引き留めようとしたが、太一は既に駆け出していた。
「じゃあな!」
あっと言う間にその姿は見えなくなり、声だけが修の元に届いた。その素早さに修は呆気にとられた。
「修、遊びに行っていたのかいの?部屋におらんから、ぼちぼち探しに行こうかと思っていたんだよ。」
ばあちゃまが修の姿を見るなりそう声をかけた。
「うん。友達と遊びに行っちゃったんだ。はい、お土産。」
修はばあちゃまにさきに手渡された籠を渡した。ばあちゃまは中を見て驚きの声を上げた。
「ほお。修、苺畑まで行って来れたのかいな。随分と頑張ったものだの。」
「うん。友達が連れて行ってくれたんだ。友達と一緒だと、案外遠くないんだねえ。」
嬉しそうに報告する修の様子に、ばあちゃまも目を細めている。
「そうかい。良い友達が出来たのじゃのう。それは良かった。修は、もっと外で遊ばねば、と思っていたんじゃ。」
ばあちゃまは、にこにこと修の世話をやきながら、話を聞いてくれている。修はそれから夕食の最中もずっと話し続け、ばあちゃまが布団に押し込むまで止まることはなかった。
流石に疲れていたものか、枕が頭に着くなり眠りに落ちた修だった。ばあちゃまはその寝顔を見つめながら、ほっとため息をついた。修の身体のことをいつも気にかけているばあちゃまだ。普通の子供のように、元気に外を駆け回って遊んでくれるようになってくれたら、どんなに嬉しいだろう。ばあちゃまはそれを願って、お寺に願掛けをしている。その思いを仏様が汲み取って下さったのかもしれない。ばあちゃまは心の中で手を合わせた。
良い天気が続いている。風も心地よい。
修は日課の勉強をさっさと終わらせると、帽子を被って外に出た。今日も太一達に会いたかった。会って一緒に遊びたかった。修にとってはやっと出来た初めての友達だった。
「何処にいるのかなあ?」
外に飛び出してはみたものの、考えてみると修は、自分が彼らについて何も知らない事に気がついた。家が何処なのか、家族はいるのか、まるで聞いていない。そして何処の学校に行っているのかも。
「…あ。まだ学校に行ってる時間だ…。」
色々考え及んで気が付く。普通の子供はまだ、教室で勉強している時間だ。
「あーあ。」
修は自分の迂闊さに呆れた。そして改めてこちらに来ている理由、学校にも行けない自分の体の弱さを呪った。
「…つまんないの。」
足元の石を一つ蹴り飛ばして、修はそれでも森へ続く道を辿り始めた。
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