暗闇に、ひたひたと石畳を蹴って走る足音だけが響いている。小さな影が必死に走って行く。息が切れている。心臓が破裂しそうだ。でも、逃げなくちゃ。少女は懸命に走る。でも、もう足が動かない。もう走れない。でも、逃げなくちゃ。
古い神社の参道。両側には、一抱えもありそうな大きな銀杏の木が立ち並んでいる。黄色い葉が音もなく舞い散る。闇の中なのに銀杏の木と参道だけがライトアップされているかのように明るく浮かび上がって見える。
ダメだ。もう、走れない。そう思って少女は、石畳の上から銀杏の木の方へと道を逸れた。隠れよう。そう考えたのだ。早く隠れなければ。気だけが急く。見つかったら捕まってしまう。捕まったら…、あれを付けられてしまう。イヤだ。それだけはイヤだ。怖い。恐ろしい。
向こうから石畳をやって来る足音がする。びくり、と少女は身を竦める。出来る限り身を小さく縮めて、大きな銀杏の木の根元にしゃがみ込んで隠れる。
お願い。見つかりませんように。神様…!
怖い。足音が近づいて来る。
参道を歩いて来るのは、黒いスーツ姿の男。周りを見回しながらゆっくりと歩いて来る。
探している。自分を。少女はますます身を縮めた。恐怖で心臓が早鐘を打つ。胸が痛い。弾む息を必死に潜める。
早く通り過ぎて。早く、行っちゃって!
両手を握りしめて、両目をぎゅっと閉じて、少女は祈った。
足音がゆっくりと石畳を歩いて行く。少女が隠れている木の横を過ぎて、その先に向かうようだ。少女の願いが通じたのか、足音はゆっくりと遠ざかっていく。やがて完全に足音が聞こえなくなると、少女は大きく吐息をついた。
よかった…。行ってしまった…。もう、大丈夫。
安心感が少女を押し包み、全ての力が抜けてしまう。
途端、
「見ぃつけた。」あの男が、背後からぬっと現れた。
「ひっ!」
少女の口から恐怖の悲鳴が漏れる。「どうして逃げたんだい?」
男はにやにや笑いながら言った。少女は思わず後ずさる。
「どうしたんだい?何がそんなに怖いんだい?」
男は優しく声をかけながら、少女の方に屈み込んでくる。少女はそれでも何とか逃げようと、必死に後ずさる。銀杏の幹に背中がぶつかる。ダメだ。逃げられない。怖い。怖いのに逃げられない。恐怖のあまり、少女の目から涙が溢れてくる。怖い。
「どうしたの?」
男はにやにや笑いながら、その顔を少女に近づけてくる。怖い。何が怖いかって、男の額には大きな第三の目が光っているのだ。少女はその目の視線から目を逸らそうとするが、うまくいかない。蛇に睨まれた蛙のように、その目に射すくめられている。
「この目が怖いの?どうして?」
男は自分の額を指さして尋ねた。
「どうしてそんなに怖がるんだろうねえ?これは素晴らしいものなんだよ。君も付けてみればすぐにわかるのに。」
男は肩をすくめて見せた。
「まったく、そんなに怖がって逃げ回るから。手間ばかりかけさせて。」
男は苦笑している。
「本当、こんな幸運、またとないんだよ?なのに何故、そんなにいやがるんだろうねえ?」
少女は泣きながらイヤイヤをしている。その目は男の第三の目から離れない。
「だめだよ。君はもう逃げられない。それに…。」
男はにたりと笑って右手を少女の方に伸ばしてその手のひらを見せた。
「ほうら。君の『目』をここに持ってきて上げたよ。」
男の手のひらには、ぎょろりとした『目』が、少女を見つめていた。
「ひっ!」
少女は小さく悲鳴を上げた。その『目』は、完全に別の生き物のように動いて少女を見ている。まさに、生きていた。
「さあ。」
男は少女の額に右手を伸ばす。
「付けて上げようね。」
少女は目をぎゅっと閉じた。そうすることによって、この恐怖から逃れようとした。
怖い!イヤだ!
しかし、ゆっくりと、確実に、男の手は少女の額に伸び、そして、触れた。

「ほうら。怖くなんかないだろう?」
男の声がして、思わず少女は顔を上げて目を開けた。何の変わりもない。痛くもない。そうだ。『目』が付けたり外したり出来る訳がない。全部、自分の気のせい。男にからかわれていただけ。少女は今までの恐怖の反動で、ぼうっとそんな事を考えた。何故、あんなに怖かったんだろう?解らなかった。
だが。
「目を開けてごらん。」
男が言った。
(え?)
少女は戸惑った。男の言っている意味がつかめなかった。しかし…。
自分の額で、それ、がゆっくりと開いてゆくのを感じた。
少女はその時やっと、自分の額にそれがあるのを知った。『目』が開いてよくとともに、視界が開けていくのが解った。今まで見えなかったものが見える。まさしく目が開いてゆくのだ。そして、ものすごい量の情報がその視界から流れ込んでくる。それはある意味、快感を伴う感覚だった。
(凄い…。)
少女は新しい世界に瞳を輝かせた。
(なんて素晴らしいんだろう。世界がこんな風だなんて、全然知らなかった。楽しい。嬉しい。知る、と言うことがこんなに素晴らしいことだなんて、知らなかった。私は、なんでこんなに楽しいことをいやがっていたんだろう?私は、こんなに凄い力をどうして怖がっていたんだろう?)
少女は例えようのない喜びと開放感に包まれていた。
うふふ。ふふっ。
いつの間にか少女の顔には笑みが浮かんでいた。あの男と同じ、不気味な笑みが。


  end


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